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リスキー長谷川の酔いどれ対談 2杯目(後編)
ゲスト 高田馬場のダンゴ虫「ヒロシ・ヤング」
 小気味の良いトークで機種攻略、ワンポイントや楽しみ方を視聴者に伝授している姿が印象的なヒロシ・ヤング。今年の7月には「ナイナイサイズ」(日本テレビ系列)にも出演し、その知名度は今や業界でもトップクラスと言える。そんな彼が今までどんな道を歩んできたか、それを知る人間は意外に少ない。パチンコとの出会い、大学時代、そして現在に至るまで…、ヒロシ・ヤングの軌跡に迫ってみたい!
大崎一万発さんとの出会い
リスキー「そのままずっとバンドを続けていた訳ではないですよね」

ヤング「そうだね」

リスキー「で、何か転機が?」

ヤング「これがまた面白い話で、たまたま大学の同級生……大崎一万発(元パチンコ必勝ガイド編集長)さんって方がいらっしゃいまして…」

リスキー「はいはいはい!」

ヤング「実は大学の同じクラスで……」

リスキー「同じ大学出身とは聞いていましたが、クラスも同じだったんですか! 大崎さんとは学生の時はどういう付き合いだったんですか?」

ヤング「普通だよ。面識もあるし仲も悪くないって感じ。ちょっと細かい話をすると、大学の学生番号が『HI』って書いてあるんだけど、Hが学部の番号で、Iってのが語学クラスの番号だったのね、俺はそれを何を勘違いしたかIってのを1年生の1だと思ってたのよ。Hってクラスだと思ってたから、H組の授業に出とってさ。で、1ヶ月ぐらいまじめに出てたんだけど、いつになっても名前を呼ばれないからさ。だから『僕の名前ないんですけど』って言ったら、学生課に行きなさいって言われたんだけど、めんどくさいから行かなくて(笑)。で、後々確認したら『お前違うぞ、H組ちゃうぞ。これは1年の1じゃなくてI組だと。お前はI組に行け』と。その時はもう6月の半ばですよ。その時の新しいクラスにいたのが大崎君」

リスキー「へぇ〜、ちなみにその時の大崎さんはどんな感じでした?」
ヤング「革ジャン。革ジャンでまだ辮髪とかにもなってない。パンクが好きな大崎君って感じ」

リスキー「じゃあ、音楽の話もしてたんだ」

ヤング「した。大崎君はブリティッシュビート研究部っていうサークルに入ってて、俺もブリティッシュビートがものすごく好きで、レコードも結構買ってたから『うちのサークルおいでよ』って言われて。授業終わりに連れてってくれて先輩みたいな人に会わせてくれて『どんなの弾いてるの?』って話になるじゃん。でもその先輩が、まあサークルの中では偉い人なんだけど、音楽の知識的に全然大したことなかったのね。この程度かって。で、俺田舎もんだしさ、いきっとるからさ。こんな所にはおられんな、こんなレベルの低い所には……って思って、ブリティッシュビート研究部には入らなかった。で、だんだん学校も行かなくなって疎遠になったけど、大崎君とは多分2〜3回は飯を一緒に食べに行ったな」

リスキー「じゃあ、その数ヶ月の付き合いなんですか?」

ヤング「でも語学クラスが一緒だから、なんだかんだでたまに会えば『おうっ』って。あと音楽サークル絡みで会ったこともあった。俺大学3年からやっと音楽サークルってものに入るんだけど、別のリズム&ブルース研究会ってのに。そこでライブハウスを借りてライブをやった時に、なんかの関係でたまに大崎君が観に来てたりしてて……。で、就職決まったのって言ったら『新聞社に決まった』って話をしてた」

リスキー「へぇ!!!! そんな2人が、まさか一緒にインターネットラジオやってるだなんて」
ヤング「俺、次に大崎君を見たのテレビだと思うからね。多分、テレ朝の何か」

リスキー「プレステージだ(笑)」

ヤング「もう十万発になってたよ、たしか」

リスキー「自分も開店プロの時に撮影中の大崎さんに会って感動したな」

ヤング「で、続きがあるんだけど、そんなこんなで俺は馬場近辺に住んでてモーニング取りをしてて。俺がビッグプレイ行ったり、たまにUSA行ったりしてて」

リスキー「USA懐かしい! 今のBBステーション」

ヤング「で、USAの開店で大崎君に会ったんだ。エキサイトレディ2の開店で」

リスキー「自分もいたかもしれません」

ヤング「その時に白夜帰りか仕事途中か知らんけど大崎君も打ってて。『ちょー久しぶりじゃん。何やってんの』って話になって。馬場でクサレパチプロやっとるって話をしたら『すげーじゃん、今、ガイドで俺が担当してるページで、パチプロの対談のページがあるんだけど、1万円か1万5千円ギャラ出すから出てよ』って言われて。そん時自分のバンドでインディーズの7インチのシングルを作ってて、それの宣伝させてくれるんだったら出るっていって」

リスキー「大崎さんが必勝ガイドの編集長って知っていたんですか」

ヤング「ガイドはあんまり読んでなかったけど、大崎君が何やっているかは知ってたよ」

リスキー「で、安田さんの対談企画で」
ヤング「超懐かしいワ。多分それが13年くらい前の話」
ヒロシ・ヤングの由来、そして現在に至るまで
リスキー「その後開店プロ的なこともやりつつ生活していた訳ですよね。今の仕事にはどうやって行き着くんですか?」
ヤング「最初パチプロになった頃はスゴいおもしろかったの。自分なりの勝ち方のスタイルも確立させていって。でもそれを3年、4年と続けてたらだんだん飽きてきちゃって…。ある時ふと『俺、これを60歳までやってるのかな?』って思い始めて、どうしようかな、って思ってたの。で、ちょうどそんなタイミングの頃に、自分に音楽の才能がないということにもようやく気づいて…」

リスキー「商業ベースにのるとかそういうのは別にして?」

ヤング「まったく別にして。純粋に、自分が憧れてきたような音楽を作る能力が無いっていうことが10 年以上経ってやっとわかって。27〜28歳の頃かな。その頃、友達と音楽の雑誌を作ろうって話をしてて、編集にスゴく興味を持ち始めたの。でも編集ってどうやっていいものやら全然わからんし。で、丁度そん時に知り合いがパチンコ雑誌つくるために編プロを立ち上げるって話があって、これなら編集を覚えられるし、ちょうどええわと思って、やり始めたのが最初」

リスキー「その雑誌なんとなく覚えています」

ヤング「でも創刊号が出るくらいの頃に、社長が突然心臓発作で亡くなって、息子が跡を継ぐことになったんだけど、株主から突っ込まれるのが嫌だという理由で新規の雑誌はヤメってことになって。その雑誌は1冊で終わり(笑)。で、また何もやることがなくなったから、知り合いの手伝いや下請けをしたりしながら、パチプロに逆戻り。で、半年くらい経ってからだったかな。その雑誌の時に知り合いになったイラストレーターが長岡書店に出入りしてて、『ライターとか編集を探してるんだけど、今何してますか?』みたいな電話をくれて。すぐに『やるやる』って答えて馬場にある編集部を紹介されたの」

リスキー「ここでようやく自分の知っているヤングさんの経歴になる訳だ」
ヤング「そうだね」

リスキー「どちらかと言えば仕事は編集? それともライター?」

ヤング「一応ライターとして入ったけど編集もやってた。その編プロが本当にレベルが低くて、ボーダーの出し方もわからなけりゃ、止め打ちの重要性も理解できてない。リニューアルで『勝ち方を伝えていく雑誌にする』って決まったのに全然ダメで。『あ〜、もう俺がやる!』って企画面や編集にも携わっていくようになっていって」

リスキー「ところで、ヤングって名前はいつ付けたんですか?」

ヤング「その時にメインでやっていた雑誌のリニューアルが失敗して、で、また新しい雑誌の話があった時、給料は大して出せないんだけど、その代わりにスカパーの専門チャンネルに出ないかって話になって。で、明日収録っていう日に『芸名考えてきてくれ』って言われて、深夜ファミレスで友達に相談したら、その友達が『わかった、ヤングや!』って。俺もその友達もニール・ヤングっていうミュージシャンが大好きだったから」
リスキー「『ヒロシ』は本当ですもんね」

ヤング「あともう1つ別案で、クリス・スペディングっていうギタリストからとって『ヒロシ・スペディングは?』って言われたけど、やっぱり『ヤング』の方がバカっぽいなって思って(笑)」

リスキー「そのペンネームにしていたら、スペさんって呼ばれていたかもしれませんね(笑)」

ヤング「俺もその友達も本当にニール・ヤングが好きで、普段から『ヤングさんやっぱ格好エエわー』とかってずっと言ってたのね。『ヤングさんのギターは超絶だわー』みたいなことを。ニール・ヤングのことを『ヤングさん』って本当に呼んでたから、自分が『ヤングさん』って呼んで貰えるなら嬉しいなーって」

リスキー「でもそういった流れでCSチャンネルにも出るようになったんだ。で、雑誌の方の仕事は……」

ヤング「結局3つ雑誌が変わって。ネットと雑誌の連動とかやってたんだけど、最後は版元が音を上げて『ヤングさんおひきとりください』みたいな」
リスキー「そんな雑誌もありましたね……」

ヤング「雑誌では勝ち方を伝えることを一生懸命やってたの。当時は今に比べたらまだ勝つの楽だったし、一生懸命それを伝える努力を誌面でやってたんだけど、結局売り上げにはまったく反映されなくて…。そういう繰り返しの中で、自分の中で『釘とか勝ち方というのは、そんなに『引き』がないんだな』っていう結論に達したの。もちろん釘のことを伝える人は必要だけど、何人かいれば十分だし、必勝ガイドでやればエエなって。だって、釘のスゴい人っていっぱいいるんだもん。安田さんだってそうだし、和泉さんだってそうだし、俺より数段上手い人がいる。あえてそこに行く必要はないわ、みたいに思ったの」

リスキー「その役割分担というか、根本の考え方がテレビやコラムでもヤングさんの意図がはっきり現れていますよね」

ヤング「で、そのうちだんだん活動の舞台が、雑誌からスカパーとか地方のテレビ番組がメインになってきた訳だけど、その考え方は基本的に変わってなくて、『勝つ』ことより、観てくれた人が『あ、この台おもしろそうだな、打ってみたいな』って思ってくれるような番組になればエエな、って思いながらやっとる感じかな」

リスキー「自分も仲良くさせてもらっていますけれど、知らない話も聞けて面白かったです。まあ原稿に起こせないことが半分くらいありますが(汗)」

ヤング「本当ね、自分の若い頃って青臭くてどうしようもないガキだったナ〜って思うもん」

リスキー「今日はありがとうございました!」

ヤング「こちらこそ!」
プレゼントは、この小粋なジャンパー……でした
●ヒロシ・ヤングさんの活躍はこちらで……ヤングの”ノリ打ちでポン!”
●リスキー長谷川さんのブログはこちら……リスキー長谷川のエクセレントブログ  リスキー長谷川さんの会社「有限会社ビスカスワークス公式ブログ」
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