芸名は李小龍(リー・シャオロン)、本名は李振藩(レイ・ジャンファン)。アメリカ・サンフランシスコで中国系の父である李海泉とドイツ・中国系の母であるグレースの間に5人兄弟の次男として生まれる。香港の舞台俳優であった父・李海泉の影響のためか、生後3ヶ月余りで「金門女」というサンフランシスコで作られた中国映画に女の赤ちゃん役で出演。その後は香港へ帰国、8歳頃から子役として数多くの映画に出演した。
1952年、香港のラサール学院中等部に入学。その頃の香港では喧嘩が法律で禁じられていたのだが、当時でも珍しい中国服を着ていたことから目立ち、ジロジロ見られては「何見てんだコラ!」と難癖をつけては喧嘩を繰り返すようになる。1954年には、喧嘩に勝ちたいという動機で、中国武術の一派である詠春拳の葉問(イップ・マン)から手ほどきを受け、中国武術を学んだ。
18歳の時に不良グループのボスのタイマンで相手に大怪我を負わせてしまい、警察のお世話になる。「このままではヤクザになってしまう」と心配した両親の説得により、単身アメリカに渡る。かつての不良はどこへやら、マジメな青年になり、ワシントン大学・哲学科で勉学に励む傍ら、生活費などを稼ぐために自らの道場を開き指導を始める。1964年にはワシントン大学を中退し、道場経営に専念。詠春拳の技術に、さまざまな格闘技のエッセンスを取り入れた武道、截拳道(ジークンドー)を創始した。また、その頃同じ大学の医学生で、道場で指導していたリンダ・エメリーと結婚する。
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出生:1940年11月27日
死去:1973年7月20日香港にて |
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