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リスキー長谷川の酔いどれ対談 2杯目(前編)
ゲスト 高田馬場のダンゴ虫「ヒロシ・ヤング」
 小気味の良いトークで機種攻略、ワンポイントや楽しみ方を視聴者に伝授している姿が印象的なヒロシ・ヤング。今年の7月には「ナイナイサイズ」(日本テレビ系列)にも出演し、その知名度は今や業界でもトップクラスと言える。そんな彼が今までどんな道を歩んできたか、それを知る人間は意外に少ない。パチンコとの出会い、大学時代、そして現在に至るまで…、ヒロシ・ヤングの軌跡に迫ってみたい!
対談当日はヤングさん40歳の誕生日
リスキー長谷川(以下、リスキー)「取材帰りにすみません。しかも本日誕生日だそうで」

ヒロシ・ヤング(以下、ヤング)「全然エエよ。もう誕生日っていう歳でもないし」

リスキー「ヤングさんおいくつになられたのですか?」

ヤング「ちょうど40歳になったワ」

リスキー「大台じゃないですか」

ヤング「気がついたらナ……。そら白髪も生えるワ(笑)」
リスキーさんからもプレゼントがっ!?
気になる中身は対談後編で
リスキー「さてこの対談ではお酒を飲みながら、いろいろゲストについて話を聞いていくのですが、普段バカ話をさせていただく延長でトークが進んでいけばいいと思っています」

ヤング「了解〜!」
パチンコとの出会い
誕生日ということでケーキと一緒にパチリ
リスキー「まずヤングさんがパチンコに出会ったのっていつ頃なんですか?」

ヤング「ご他聞に漏れず、この業界の人って相当デビュー早いと思うけど、俺は両親ともパチンコせんかったから、悪い友達とホールへ行ったのが最初」

リスキー「地元ですよね。地元ってどこでしたっけ?」

ヤング「鳥取県。日本海沿いの倉吉ってとこの近く。初めて自分のお金で打ったのは多分その時。でもね今思えば雀球だった気も…」

リスキー「僕より4つ上だから、ゼロタイガーとかの時代ですかね」

ヤング「80年とか81年だったと思う。わけもわからんままとにかくお金を入れて………。ただそん時の記憶はあんまりないワ。ビビッとったし。で、本格的に始めたのがその2年後。それがゼロタイガー」

リスキー「今の人はどう思うのかわかりませんが、その当時のパチンコ店は緊張しましたね」

ヤング「その時ちょうど風営法の改正があって、10カウント規制、1300発機が登場した頃でさ」

リスキー「えっ!? デジパチも打っていたのですか?」

ヤング「うん。何か知らんけど当たるし。勝ってたけど、小箱で1箱とか出たらヤメてた」
リスキー「では最初から勝ち組だったの?」

ヤング「いや、負けてたと思う。月の小遣いが5000円だったし、お金さえあったらレコード買ってたからお金がなかった記憶しかない」

リスキー「そう、ヤングさんと言えば『音楽』というイメージが自分は強いのですが、その時好きだった音楽の道は目指さなかったんですか?」

ヤング「バンドやっとったよ。高2からずっとバンドやっとって、高2、高3、大学行ってからもバンドやるって決めてて。京都で1年浪人したけど(笑)」

リスキー「京都で浪人してたんですか。それは初耳」

ヤング「うん、もうとにかく田舎が嫌で。こんなクソみたいな所、アホかって思っとった(笑)。で、大学も落ちたし、浪人することになって。大阪に行くパターンが一般的だと思うけど、なんか京都がかっこエエなって思って京都に行った」

リスキー「すごいっすね。その当時に京都に行きたいって思うのって。大人」

ヤング「ほんとは東京に行きたかったけど、東京はどーせ大学で行くからエエわと思って。バイトしながら予備校行くわって実家を出て、結局……バイトばかりしてたけど。相変わらずお金が全然なくて。でも京都でもパチンコは打ってたね。その当時は開放台狙いばかり」
リスキー「まだ攻略誌も発売されていない頃でしょ。なぜ開放台狙いで勝てるって気がついたのですか?」

ヤング「なんとなくじゃないかな。昨日出てた台を打って、まあ、その台で勝ったから次の日もって感じだね」

リスキー「あの当時、学生が多くて、で1浪で早稲田大学に受かったってことは、ぶっちゃけ勉強はできたんすか? 自分では言いづらいでしょうけど(笑)」

ヤング「多分(笑)。高校はほとんど勉強せずに入ったけど、そのまま勉強せんかったらどんどん落ちこぼれていったよ。ドロップアウト思考が強いというか。ほんとにひねくれでさ」

リスキー「もちろんその学校も偏差値高いところでしょ」

ヤング「一応、県内で三本の指に入る、そこら辺では一応賢い子が行く学校。ただ田舎だからたかが知れとるよ。3年になったら学校も全然行かなくなって出席日数も足りんようになったし」

リスキー「その高校久しぶりのワルって感じ?」
ヤング「全然そんなことない、と思う(笑)。校風は自由だったから。それに停学になってないし」

リスキー「ワルの基準は停学ですか(笑)。で、大学に合格して東京に来て、バンドも続けて、生活のためにバイトして。でもその間にパチンコも打つと」

ヤング「うん打っとった。京都と同じように開放台狙いが中心」

リスキー「それこそ、ビッグシューターが出るか出ないかの頃ですよね」

ヤング「うん、ビッグシューターは京都の終わり。その前がレッドライオンで、それがまず衝撃で『これは面白い』ってレッドライオンばかり打ってた。大学受験の前日までパチンコ打っとったもん。やっぱ全然勉強してないわ(笑)。確か年明けてからだったと思うけど、ビッグシューターが登場して、それがほんとに衝撃で。まず当たった時のファンファーレがもう最高!」

リスキー「自分もビッグシューターでパチンコを覚えました」

ヤング「あれって、10カウントの時代のデジパチでしか鳴らなかった音楽が羽根モノでも聞けるって豪華感があってさ。もちろん、玉が貯留されて一挙にドバーって解放されるところも最高だった。ビッグシューターはハマったね」

リスキー「僕らの世代だと、あれはエポックメイキングですね」

ヤング「いい感じでドーンって。右から入ると調度いいんだよね。でもその後に出たミラクルシューターはクソ台だった(笑)」

リスキー「ってことは、大学時代のパチンコは小遣い稼ぎって感じで。でも、好きだったんですよね?」

ヤング「好きだった。オロチョンパ1日3台とか打ち止めにしたりしてごっつい嬉しかった」
高田馬場のダンゴ虫暦15年
リスキー「大学入学と共に東京に出てきてもパチンコを打っていたのはわかりましたが、その時どちらに住んでいたのですか?」

ヤング「1年目は東村山市の久米川。そこが1年目で嫌になって。早稲田の社会学部って一番発表遅くて、その時バブルに差し掛かる頃だから、早稲田の発表終わった後に家を探したら『今頃探しに来てもない』って。で、久米川を紹介されて住んでたんだけど」

リスキー「大学はちゃんと卒業したんでしたよね」

ヤング「卒業はした。6年で(笑)。1年目の前期で4年で卒業は無理っていうのが判明して。試験全部ボイコットして帰ってきたから。大学辞める気だったし」
高田馬場に15年住んでいるとのこと
リスキー「ところで『高田馬場のダンゴ虫』にはいつなるんですか。1年目が久米川、その後に高田馬場へ引っ越すの?」

ヤング「いや、その後は中野坂上。そこには大学5年までいた」

リスキー「で、馬場ですか?」

ヤング「下落合。大学6年の時から彼女と同棲を始めるんだけど、彼女の家が下落合だったから、そこに転がり込んだの。というか中野坂上の家は追い出された」
ヤングさんの母校、都の西北・早稲田大学
リスキー「追い出されたんですか? お金が払えなくて?」

ヤング「夜中に友達と騒ぐとか、ステレオがうるさいとか。あと、大家が変わって水道料金の取り立て方法が変わってさ、それが俺は納得いかなくて1人でレジスタンス行動を続けとったら『お前出て行け』って」

リスキー「ヤングさんらしいエピソードだ。で、下落合に住んでそれからずーと馬場なんですか?」

ヤング「うん、馬場から歩いて10分ぐらいのとこ……25歳からだからもう15年か」

リスキー「で、6年で卒業するじゃないですか。さっきの話でいくと、バンドもやってて小遣い稼ぎ+好きでパチンコやってて。ちょうどその時代だと春一番とか新台で導入された時期じゃないですか」

ヤング「春一番好きだった! でも一番打ってたのはブラボーミリオンとかかな」
リスキー「卒業して、天下の早稲田大学ですから仕事は沢山あったと思うんですけど、就職はしなかったんですか?」

ヤング「うん、ハナから就職する気は全くなくて。それがまだ続いとるという…。社会の歯車の一員になるもんかって。青臭い感じで。ビデオ屋でバイトしとったけど、まぁ、ほぼヒモだね(笑)」

リスキー「その時の彼女に?」

ヤング「うん。で、そのバイトも大学6年からしてたんだけど、そこもクビになって。開店プロになる前に、1年ぐらいは馬場のモーニング取りだけで勝ってた。今は無きビッグプレイで」

リスキー「自分が編集プロダクションに勤め始めた頃だ。ビッグプレイということはアニマル?」

ヤング「ビッグプレイの2階が全台ニューパルで、そのモーニング狙い。アニマルを打ち始めたのはその頃だから結構遅いんだよね。で、取って取りきりじゃなくてコインがある限り打ち切るんだけど。モーニング何台かに1台は高設定だったから、それを飲まれるまで打つみたいな。飲まれたら帰る。気付いたら夜まで打ってたみたいなことをやってただけで20万ぐらい稼げた。ええ時代よね(笑)」

リスキー「なるほど。で、パチスロ以外の時間はゴロゴロと……。バンドはどうですか?」

ヤング「バンドはやっとったよ」

リスキー「でもそれだけバンドに力を入れていたということは、プロになろうとはしなかったの?」

ヤング「そこがまたひねくれで、日本の音楽産業はダメだと思ってたから、プロにはならないぞ、みたいに思っとった。ま、なろうとしてもなれんかったと思うけど」

リスキー「インディーズ的思考ってことですよね」
ヤング「ちょうどイギリスにお手本となるようなバンドがあって、そのバンドに会いに行ったりとかもしたんだよ、2ヶ月ぐらい。ロンドンには出て行かずににグラスゴーって街でみんなそれぞれ仕事をしながら良いレコードを出し続けてて。ロンドンの中心の業界システムにNOといっとるのがカッコイイなって思ってて」

リスキー「音楽のことはよくわからないのですが、ジャンルでいうとなんですか? パンクロック?」

ヤング「態度としてはパンクの流れなんだけど、スタイル的にはギターポップって言われるジャンルかな」

リスキー「ちなみにヤングさんの担当楽器は?」

ヤング「ボーカルとギター(笑)」

リスキー「その頃のビデオとか見てみたいですね」


後編に続く

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