大崎一万発さんとの出会い |
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リスキー「そのままずっとバンドを続けていた訳ではないですよね」
ヤング「そうだね」
リスキー「で、何か転機が?」
ヤング「これがまた面白い話で、たまたま大学の同級生……大崎一万発(元パチンコ必勝ガイド編集長)さんって方がいらっしゃいまして…」
リスキー「はいはいはい!」
ヤング「実は大学の同じクラスで……」
リスキー「同じ大学出身とは聞いていましたが、クラスも同じだったんですか! 大崎さんとは学生の時はどういう付き合いだったんですか?」
ヤング「普通だよ。面識もあるし仲も悪くないって感じ。ちょっと細かい話をすると、大学の学生番号が『HI』って書いてあるんだけど、Hが学部の番号で、Iってのが語学クラスの番号だったのね、俺はそれを何を勘違いしたかIってのを1年生の1だと思ってたのよ。Hってクラスだと思ってたから、H組の授業に出とってさ。で、1ヶ月ぐらいまじめに出てたんだけど、いつになっても名前を呼ばれないからさ。だから『僕の名前ないんですけど』って言ったら、学生課に行きなさいって言われたんだけど、めんどくさいから行かなくて(笑)。で、後々確認したら『お前違うぞ、H組ちゃうぞ。これは1年の1じゃなくてI組だと。お前はI組に行け』と。その時はもう6月の半ばですよ。その時の新しいクラスにいたのが大崎君」
リスキー「へぇ〜、ちなみにその時の大崎さんはどんな感じでした?」 |
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ヤング「革ジャン。革ジャンでまだ辮髪とかにもなってない。パンクが好きな大崎君って感じ」
リスキー「じゃあ、音楽の話もしてたんだ」
ヤング「した。大崎君はブリティッシュビート研究部っていうサークルに入ってて、俺もブリティッシュビートがものすごく好きで、レコードも結構買ってたから『うちのサークルおいでよ』って言われて。授業終わりに連れてってくれて先輩みたいな人に会わせてくれて『どんなの弾いてるの?』って話になるじゃん。でもその先輩が、まあサークルの中では偉い人なんだけど、音楽の知識的に全然大したことなかったのね。この程度かって。で、俺田舎もんだしさ、いきっとるからさ。こんな所にはおられんな、こんなレベルの低い所には……って思って、ブリティッシュビート研究部には入らなかった。で、だんだん学校も行かなくなって疎遠になったけど、大崎君とは多分2〜3回は飯を一緒に食べに行ったな」
リスキー「じゃあ、その数ヶ月の付き合いなんですか?」
ヤング「でも語学クラスが一緒だから、なんだかんだでたまに会えば『おうっ』って。あと音楽サークル絡みで会ったこともあった。俺大学3年からやっと音楽サークルってものに入るんだけど、別のリズム&ブルース研究会ってのに。そこでライブハウスを借りてライブをやった時に、なんかの関係でたまに大崎君が観に来てたりしてて……。で、就職決まったのって言ったら『新聞社に決まった』って話をしてた」
リスキー「へぇ!!!! そんな2人が、まさか一緒にインターネットラジオやってるだなんて」 |
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ヤング「俺、次に大崎君を見たのテレビだと思うからね。多分、テレ朝の何か」
リスキー「プレステージだ(笑)」
ヤング「もう十万発になってたよ、たしか」
リスキー「自分も開店プロの時に撮影中の大崎さんに会って感動したな」
ヤング「で、続きがあるんだけど、そんなこんなで俺は馬場近辺に住んでてモーニング取りをしてて。俺がビッグプレイ行ったり、たまにUSA行ったりしてて」
リスキー「USA懐かしい! 今のBBステーション」
ヤング「で、USAの開店で大崎君に会ったんだ。エキサイトレディ2の開店で」
リスキー「自分もいたかもしれません」
ヤング「その時に白夜帰りか仕事途中か知らんけど大崎君も打ってて。『ちょー久しぶりじゃん。何やってんの』って話になって。馬場でクサレパチプロやっとるって話をしたら『すげーじゃん、今、ガイドで俺が担当してるページで、パチプロの対談のページがあるんだけど、1万円か1万5千円ギャラ出すから出てよ』って言われて。そん時自分のバンドでインディーズの7インチのシングルを作ってて、それの宣伝させてくれるんだったら出るっていって」
リスキー「大崎さんが必勝ガイドの編集長って知っていたんですか」
ヤング「ガイドはあんまり読んでなかったけど、大崎君が何やっているかは知ってたよ」
リスキー「で、安田さんの対談企画で」 |
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ヤング「超懐かしいワ。多分それが13年くらい前の話」 |
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